<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 ● スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています








 ● 死と存在の生存概念
昨日は中学の頃の恩師の、お通夜でした。

まあリア友の皆はわかってるだろうね。

結構、先生には世話になりましたしね・・・三年の文化祭では理化部でもないのに忍びこ

ませて貰ったりと本当に世話になりました。

しかし、お通夜、当日のウルセエ奴らには怒りを覚えましたね・・・

先生との対面の後、かなりの人は泣いてましたね。

色々、変わった人だったけど生徒からの信頼も結構、厚くていい人だったと思う。

しかし、お通夜では別に僕は泣かなかった。

確かに悲しいと言う感情はあったのだが泣くということはなかった。

別に感情が凍ってるとか言うことはないと思う。

おそらく僕はその時、考えていた事があったからだろう。

確かに先生は亡くなられた。肉体的には死んだという解釈になるだろう。

しかし、精神的にはどうなのだろう?

人の死というのは肉体的死というもので決まるものなのだろうか?

よく魂は不滅である。という言葉がある。

よく言ったものだ。

その理論でいけば肉体的死は関係なく死という概念は存在しないと言うことだ。

死んだ後にどこに逝く?キリスト教の信者ならイェスのもとにいくのか?

そんなもん、この世界に肉体的生存を果たしてる限りわからないだろう。

確かに、その人が死ぬというのはこの世界の生者の思考なのかも知れない。

肉体的死=その存在の死

という風には繋がらないのかも知れない。

確かに、この世界から、その人は消えるだろう。

それは、この世界においての完全な存在の消失には結びつかないだろう。

おそらく、観測者、つまり、その人のことを覚えその存在自体が誰かの中にあるなら

死んでないとも言えるかもしれない。

心はいつも共にある。とよく漫画とかに出てくるクサイセリフではあるが、そうなのかも

知れない。

人は観測されてこそ初めてそこにいるorいたとなりたつのだ。

つまり覚えているなら、その存在は消えないのではないだろうか?

しかし、肉体的死がおきた場合それ以降、こちらからその人の未来を観測することは不可

能となる。つまり存在はわかるが、その先の未来は見えない。つまり動かない存在と

なる。

難しい・・・・・人の死、存在の死・・・・・・・

こんなことを考えても無駄なのはわかる。

しかし、何故か考える。

いずれ避けれない死というのは人にはあるのだ。

ならば、この世界での存在が消え、そして自分という人間が消えるというのはどういうも

のなのだろう?別の世界にいき新たな生を得るかもしれない。もしくは、楽園と呼ばれる

場所にいくのかも知れない。はたまた地獄と呼ばれる場所にいくのかも知れない。

最悪、自分という個が消えるの知れない。

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・


まぁ、どちらにせよ。

ここで立ち止まっても、どうにもならないだろうね。

まあ、もとより止まる気もないが。













 ● スポンサーサイト







コメント
コメントする









プロフィール
この記事のトラックバックURL
http://variant.jugem.jp/trackback/55
トラックバック


PROFILE
CATEGORIES
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
RECOMMEND
BBS
多分モウスグBBS ブログにはいらんだろうが・・・ まあなんとなく設置予定 意見モトム?
MOBILE
qrcode
プロフィール